法華講員によるコミュニティサイト

Cafe'd Minaike113

店長日記

令和7年5月9日(金)

前にも記載したことがあるかも知れませんが、五老僧日向師が大聖人様の御説法を書き残した「御講聞書」の御真筆は戸田市にあるようで、その邪宗寺院には南条時光殿へ授与の大聖人様御真筆も蔵されております。
何故、南条時光邸宅跡である、日蓮正宗妙蓮寺にあったであろう御真筆御本尊が、日向師の縁のある邪宗寺院に行ってしまったのか。。歴史は複雑です。

顕正会員と話してからは、やはりより破折力を強めたく、色々ねっとでも調べていたのですが・・
ニセ本尊論の次に出そうと思うものが見つかりました。

それは、浅井会長の当たらない予言についてです。
小田原地震が来るとか、核戦争が起こるとか、日本は滅亡する、世界は滅亡する。。経済破綻が日本で起きるとか。。。
これは破折に加えられそうですね。

昨日の壮年部唱題会で御尊師からは、大法道院展あと、また壮年部決起集会後の折伏の意識を高めて信心をしていくように御指導くださいました。

令和7年5月7日(水)

昨日は夕方に、班員さんから電話がありました。

その班員さんのところに、顕正会が婦人部2人来ているとのことで、ご主人が対応中とのこと。
電話口で、顕正会員2人相手(スマホスピーカーモード)に、一時間以上話してました。
w
一時間あれば、私はその現場に行けましたが。。w

国立戒壇論を、ひとつひとつ破折。
また破折サイトを班員さんに送って、見てもらいながら、ニセ本尊の証明を顕正新聞より伝えました。

その一人は顕正会員の葬儀の導師もするとのことで 寒
(爆)

引導文はどうしたのですか?
と聴くと、経に力があるから、亡くなった人は成仏するというのです。。?はい?
顕正会の前身、妙信講(破門前)で亡くなられた方は、正宗のご僧侶の引導文で成仏してのですよ、と伝えてました。
最後、名前と電話番号を残してもらうように、その顕正会員2人に伝えると、名字のみ書いて帰ったそうです。



修行させて頂きましたね。喉は乾きました。

その顕正会員は、少しプライベートの話もしてくれたのですが、
大白法にあった、体験のように、このような中から脱会してくれる人が出たら嬉しいです。

今朝は、仕事前に御主管お導師の朝参りに参詣し、副講頭、西都の地区長さんにも会えました。

なんと御主管からは昨日までの大法道院展の労いのお言葉とこれからの事について、ご指導くださったのです!
昨日の心労は、まったくすべて、吹き飛びました!!

令和7年5月6日(火)

先日、日蓮実宗を開いた方へ電話を入れました。
不在だった?ので、昨日2回目再度電話をして、その人がいる時間帯を聞いたのですが、話は出来ないとの内容を伝え聞きました。
こちらは一法華講員で所属寺院と名前も名乗り、なおかつ組織で何か電話をしているわけではない、ことも伝えたのですが取り合ってもらえなかったです。
おかしな話です。

昨日は、少年部の遠足に三女と参加させて頂きました。
今日とは打って変わって晴れわたり、少年部員は元気に参加しておりました。

少年部長の御指示のもと、御父兄皆さんで街頭折伏に公園を回り、パンフレットも複数枚お渡しすることができ、またしっかり話を聞いてくれる方もおりました。

記念撮影だけでなく、少年部員の元気な姿を写真に収めました。
少年部員は、法道院の宝です。

明日から又仕事ですが、今日はしなければならないことを終えて臨みたいと思います。
五月は結構、スケジュールが詰まっております。

令和7年5月4日(日)

ゴールデンウイークも前半が終わりました。

今日は御主管お導師の広布唱題会に参加させて頂きました。
御指導では、御霊宝虫払大法要の話があり、大聖人様御在世の五老僧が、御書を粗末にした事や、法要の4/7は旧暦の大聖人様の御聖誕の日にあたることや、日主上人様の時代には、夏の時期に行われていた宗史を教えて頂きました。

日如上人の御指南をひかれ、唱題と折伏が一体であること。御本尊様への絶体信。信心の大確認のもと、もっと強く対象者に訴えかけることの大事を御教示でした。

この後、壮年長会議に代理で出席させて頂いたのですが、この会議の御尊師の御指導の中で、折伏の意識を大事に言動、行動を全員が実践すること。折伏の為に学ぶ。全てが折伏の為の学であることというお話をくださいました。

先日末の祝日(4/29)も、このゴールデンウイーク中(5/3,4)に山門折伏に立つことができました。

講頭も笑顔でお声かけくださり、激励くださいました。

西都の地区長さんや、西部の先輩とも一緒にパンフレットをお渡しできました。
パンフレットを受け取ったり、話を聞いてくれる人はいるものです。

今日は「顕正会は未だに来ますか?」とお声かけをくださった方が居て、よく聞くと妙観講の方でした。
顕正会がいたら捕まえて折伏をしたいとおもっていたらしいです。

明日は少年部の遠足で、街頭折伏を父兄で実践するとのことで、少年部長がお声かけくださいました。
明日は一眼レフも稼働させて子供達をたくさん写真に収めたいと思います。

令和7年5月1日(木)

火曜日(祝)は久しぶりに山門に2時間ぐらい立ち、通りかかる方々へお声をかけさせて頂きました。
各種パンフレットを手元にまとめ、外国籍の方が来たら、英語版をさっと表にしていました。

2人ほど立ち止まり話ができ、その中で一人顕正会の御婦人がいらして経済的に困っているようで、5/3,4に山門のある時間に約束したのですが、電話を頂けることを待ち望んでおります。

宗旨建立会、激励会、幹部会では沢山のメモを取り、心に刻まれる御指導が多く、見返して再度心に深く刻んでおります。
宗旨建立会では、東央の大先輩の隣に夫婦でおりました。
宗旨建立から、大聖人様は難に継ぐ難で、弟子が殺されたりしましたが、魔に負けない事。我らに師弟相対の信心を残してくださったことを心より感謝して御報恩していかなければと思います。
身近な経済状況や生活が大きく変わらなくても、境界が信心で開けることによって、周りが仏国のような環境になる、ということを学んだ感じです。

この日曜日には、講習会登山の申込や手続き、広布唱題会の御祈念表を含めて色々調整が出来ました。
ひとつ困ったことがあり、4/16 の大白法が事務局の班の袋になく、御指南が拝せません。
このCafedの御指南も更新できなくて。。。御指南はスキャナーアプリで読み取って、文字を整えて載せる事がたまにあります。

今朝、長女のお念珠が勤行中に切れました。
お念珠が切れる時は、お念珠が代わりになって護ってくれたという事を聞いた事があります。
このお念珠は姉が残してくれて長女が相続したものなのですが、今日は姉の月命日でもあり、姉が長女を護ってくれているような気がしております。

昨夜、西部の壮年長さんからメッセージがありました。
仕事も大変らしく、しかしその中で、折伏成就の成果があるばかりか、ゴールデンウイーク中のスケジュールが詰まっており、新来者予定もあり。。。
境界が開けてくるということは、折伏活動で思い通り、自由自在ということなのかも知れません。壮年長さんの姿から感じます。誰から観ても、功徳が溢れております。

令和7年4月25日(金)

今週は少し反省点が多く、お寺の平日の勉強会などスケジュールの計画がなっておらず、参詣が出来ませんでした。仕事でも少し影響が出ている感じがしております。
立て直します。
仕事だけでなく、何となく気分も乗らない一週間だったようです。

出社が2日続いたのですが、昨日は帰りに駅前のエホバをしっかり破折してきました。
「話が平行線なので・・」って必ずエホバの上等手段なのですが、
「正しいものは正しく、悪い教えは悪く、世の中に悪影響を及ぼすものについてははっきり申し上げます。また、お金の貯金と一緒で、あなたの今の幸せも過去に作ってきたもので、こんなことをしていたら、無くなって不幸になりますよ。」と伝えました。

睡眠不足が昨日まで続いて辛かったのですが、今日は平常に戻りました。

昭和53年の法華講への講義集があるのですが、御法主上人猊下の当時の御講義が我が家にありますが、とてもとても難しい内容、御法門です。

時間をかけて理解しながら拝さないと(時間をかけても)全くわかりません。
私のような、末端一信徒が分かるはずもない御法門です。

御法主上人猊下様は「折伏」の御指南がほとんどですが、これだけ御法門を深くご覧なられているからこそ、いまこそ折伏しかないことを繰り返し御指南であると拝すると、本当に毎回の御指南が、深い深いお言葉です。

令和7年4月18日(金)

先日、(義理の)親戚が霊山へ旅立ち、少し寂しい一週間となってしまいました。
個人的には、我が家をずっと護ってくださっていた存在だったので、ぽっかり穴が開いてしまった感じです。

家族葬にもかかわらず、たくさんの方が参列されておられました。
講頭、副講頭だけでなく各幹事方や所属の西都地区長さんはじめ各地区長、班長皆さんや、多くの支部の方々がいらしてました。
お人柄が素晴らしい方だったので、その果報と感じます。

今週は長かったですね。
個人的には長女の部活の動画編集がやっと終わりつつあり、学校の先生へお送りし、これから関係各所へ配布されます。

今日は在宅なのですが、長女の高校登校の時間に合わせて、我が家の起床時間が早くなったので、おかげてもう既に2時間の唱題が完了し、またこの日記を記載できる時間が出来ております。
修行ですが、有難いです。
これから霊山へ行かれた親戚の信心の心を見習って、その姿に近づけるように頑張りたいです。人と自分に厳しく生きる事はたやすい事ではないと感じます。

令和7年4月13日(日)

先週は、土曜が夜勤で貫徹で、この一週間はずっと眠かったです。

壮年部唱題会では、魔が競っていることについて御指導頂きましたが、本当に我が家にも細かい魔が沢山競ってました。

今日は信心の大先輩の方と初めて話をすることが出来ました。30分ぐらい話をしてしまいました。

御講で頂いた話「上野殿御返事」は、すごく厳しい御指南に感じます。
今日のお話した大先輩の境界に少しリンクしたお話でした。

令和7年4月5日(土)

今日はこれから夜間帯の仕事ですw
今、昼間ですが、既に眠いのですが、頑張ります。

先ほど、元顕正会の同志と1時間弱話をしておりました。
本当に薄紙を一枚ずつ剥がすように、良くなってきております。
育成は、本当に根気がいります。
彼は、真実(の宗門史)がもっと分かれば、現顕正会員を救っていくことが出来ると思うので、大事に育てていきます。

この日記にはまだ記載しておりませんでしたが、元顕正会の彼と、松戸に住んでいる千葉東部の叔母の自宅に訪問することが出来ました。
叔母のところには、顕正会のニセ本尊の元となる、宗門から昭和の時代に御下附された日寛上人の御形木御本尊があります。正真正銘の御本尊様です。
顕正会は、この御本尊を1.15倍しているのですが、その証明として訪問して拝することが出来ました。

元顕正会の彼は、「顕正会は、本当に分からないような形で御本尊を顕正会が拡大してコピーしている」言ってました。確信されておりました。
いよいよ顕正会の邪義を本人が確認でき、そこから又彼の態度が良い方向に変わってきております。

令和7年4月2日(水)

お題目が朝あがっていないと、どうしても自分のエンジンのかかりが悪いです。
そして、唱題ができていても、うまくいかない事があるのですが、そんな時は折伏に動きます。

お寺に誘ったネパールの対象者から、「Iranai」と返信が来ていたのですが、今朝からネパールの対象者へメール返信してました。
断られたところから、折伏が始まるとの体験発表に習いたいと思います。
仕事では色々な事が山積することが多いのですが、ひとつひとつ丁寧に対処していくしかありません、焦らず頑張ります。

40年ぶりのこの時期の寒波だそうですが、4月にしては寒いと感じます。

令和7年3月31日(月)

3月末になりました、年度末ですね。 長女、次女の卒業式が滞りなく終わりました。

長女の卒業式では、妻が「卒業生保護者代表挨拶」をし、長女もクラスを代表して記念品をもらい又、次女は市から表彰をもらうなど、本当に御本尊様から功徳に他なりません。

明日(入学式前ですか)からそれぞれ、高校生、中学生になります。

昨日は、支部登山で御開扉では、ご戒壇様へのお目通りが叶い、尊いご法主上人様のお姿を拝し、また三回も自我偈を頂きました。
三回の自我偈は、人生でも数えるほどです。

御主管からは、身延離山を経て代々の御歴代上人様が大石寺をお護り下さって、今があること。漆千杯に蟹の足ひとつの喩えから、謗法厳戒の我ら日蓮正宗の正しいあり方を再度確認させて頂きましたが、全てが当たり前のことではありません。

昨年入信された方とも御登山でき、いつもながらの講頭から温かい激励は有りがたいです。
また曇り予定が爽やかに晴れ渡る霊地に、これほどの功徳はありません。

最後、桜の舞う中、御主管のお車をお見送りできました。
往復、本当に全く渋滞に巻き込まれない不思議な登山となりました。
(このホームページの新しい接続情報は、今しばらくお待ち下さい。いきなり見れなくなることはありません。)

実は今日会社の休みに、これら上の日記を記載、保存した後、会社から帰りの駅前でエホバの証人が何人かおり、リーダ格の人を探して話が出来ました。
「あなた方が布教して毒を撒いてるから、世の中が悪くなる、あなた自身も不幸になる」としっかり伝えたのですが、もう少しキレが無かったので、諸宗破折ガイドをみております。

令和7年3月22日(土)

実は、このCafe'dの契約しているサーバ会社が終了してしまうので、移行先のサーバへの移行テストを実施しております。
やっと新しいサーバ会社での運営が見えてきました。

どうなるかというと、今まで
http://cafed.html.xdomain.jp/
でアクセスして頂いているのですが、これが新しいものに変更になります。
準備が出来ましたら、お知らせしますので、お待ちください。
古い↑URL(http://)でも観れるようにします。
1ヶ月ぐらいで古いサイトにはアクセスできなくなりますので、ご注意ください。

今日は、長女も次女も、同級生とお出かけしております。
幼い時は比較的、休みは一緒に遊んでいたのですが、最近は少し親離れしてきたのと、でも少し二人とも大人になりつつあり、嬉しいです。

今、折伏・邪宗破折と並行してやらなければならないことが少しあるのですが、ひとつひとつ丁寧にクリアしていきたいです。このサイト更新を始め
すべて楽しい事(長女の部活の撮影、編集、信心での頼まれたこと、人への贈りものの製作など)なのですが、少し時間がかかるものばかりですが、有難いことです。

そう、日曜日は昨年折伏したかたと動けるので少し嬉しです。

令和7年3月20日(木)

昨日、次女が学校から帰って来て在宅勤務だった自分に報告をしてくれたことがありました。

小学校の卒業式で頑張った児童に表彰がもらえるそうですが、自分がその学年で3人の中に選ばれたそうです。
具体的には、成績、体育、以外のその他の中で頑張った人ということで、応援団や、後輩たちの面倒を見ていたというところが評価されたのかもとのことです。
これも本当に御本尊様からの功徳です。

今日は午前中に、長女の鼓笛隊卒部式があり、小学校3年生の時のコンクールの時のビデオを観る事ができました。
なつかしいというか、当時の長女は三女に似ているとか、こんなにも時が早く経ってしまったのかと、驚くと共に本当に感動の卒隊式で、3年生の在隊生への言葉は素晴らしかったです。

今日はお彼岸会で、我が家も御尊師から先祖の追善供養をして頂く事が出来ました。
大石寺の三門の意義は「知恵」「慈悲」「方便」という3つの意義があるようで、その深い意味まで御教示でした。
自身が仏にならずして、との御金言の如く、まず自分が成仏していく。信心の心を大きくしていくという心で、今の彼岸の時期を過ごすようにとのことでした。

この後、元顕正会の班員さんが参詣されるとのことでしたので、待っていたら、来た来た顕正会。
最近池袋には多いのですが、早速、護城会と連携しつつも、また丁度、元顕正会班長の班員さんも来たので笑
2人で切り込み、ニセ本尊の話をしたのですが、この元顕正会員の彼は、ちょっと怖い感じなので、その邪宗3人はすぐに逃げていきました。
ちょっと「来るなー」と怒鳴ってしまったのですがw 汗
威勢を以て謗法を砕くの行としておこないました。


西都の地区長さんと話をする機会がありましたが、また少し春に向けて色々、楽しい準備が必要そうです。
心して頑張ります。

今日は長女も卒隊式がとても晴れやかで、最後の演奏も動画録画しました。

令和7年3月18日(火)

卒業式、入学式シーズンですね。 我が家も2人同時に、卒業、入学でバタバタバタです。w

学校の卒業も大事ですが、何よりお寺の少年部、中等部からの【卒部】が、より人生には大事だと感じます。

我が娘も、御尊師から温かいお言葉を頂くことが出来ました。心に刻んで欲しいです。

今日は妻と長女が、高校へ行って教科書をもらって来たようです。

自分は、卒業式、入学式に出るために、会社へお休みのお願いをしました。

令和7年3月11日(火)

14年前の今日、東日本大震災が起きました。
自分は新宿の現場にいて、山手通りをずっと歩いて帰って来ました。
所沢まで帰宅できないと判断し、ガラケーの電源が、殆どないところ、下赤塚の母方の本家へ泊めてもらい、翌日の早朝、家へ電車で帰宅したことを思い出します。
昨日は、3/10で、東京大空襲の勃発した日でした。
戦争の番組は、以前に比べると少なくなりましたが、ネットでは多少の情報が発信されてました。
お寺で拝聴した、「おかあさん」と云って亡くなっていった特攻兵の話を思い出します。
戦争はあってはならないですね。
邪宗、特に異流儀の跋扈は止めなければなりません。

日霑上人のお歌の
「倒されし 竹は自ら 起き上がり 倒せし雪は 消えて 跡なし」
の現証が起きてきてます。
異流儀の現罰が少しあらわになってきました。

御法主上人のいらっしゃるこの時に、信心が出来ることは、宗史に我らの名前は全く残らなくても本当に功徳は大きく、誇り高いことです、幸せです。

令和7年3月7日(金)

長女がお寺に向かいました。妻が高校に走りました。

念願の第一志望の高等学校に、長女は合格することができました。

昨年秋、北辰の摸試ではD判定・・親は、もう諦めかけてました。
1ランク下げた県立も検討しましたが、長女の信念は変わりません。
御本尊様と本人に任せることに。。

本人が、勉強しないでテレビを見ている時も、ぐっとコラエテ余り余計なことは言いませんでした。
しかし、この時長女はちゃんと時間配分を考えてテレビを見て、勉強に集中していたのかも知れないと後から思います。

私自身・本人は、第一志望の学校に合格する経験が今まで無かったので、長女がその喜びにし浸れてとても嬉しいです。夢か現実か。。。w

夢に向かって、また4月からスタートラインに立つことが出来る長女に、エールを送り続け、親も頑張ります。

今度は長女、全国の舞台がきっと待っております。

令和7年3月4日(火)

日曜日の広布唱題会は御主管に親しく御法話を頂きました。
身延離山について正宗でしか拝聴できない甚深のお話でした。
御相承を授けられた日興上人様の、身延の山での御心労が伝わってくる内容に、言葉が出ませんでした。

波木井殿が釈尊に執着があったことと、今現在の某宗教団体の釈尊尊崇の邪義について重ね合わせて御指導でした。
異流儀、諸宗、邪宗は、全部日蓮宗のレベルに下がっていきますね。
本門戒壇の大御本尊様、御戒壇様が根本であることは日興上人様の時代と全く変わらない教義であることに有難く思います。
観妙院様の100人下種して1人の方の折伏という、修行の原点に立たねばと思います。

理境坊から出された平成4年頃の冊子に、この御主管の御指導と同じようなお話がありました。
その冊子は、東北の学生部の時の同志から頂いたものです。大事にしております。

波木井殿の謗法を戒める為に当時、日興上人にお仕い出来なかった五老僧が異流儀になったように、(平成4年当時)創価の誤りを戒めるために、正信会や顕正会が異流儀になった経緯と似ている。700年前を再現している、との当時の内容でした。
その創価が、いよいよ本当に釈尊仏法尊崇になって日蓮正宗を日興上人に正義を曲げ始めたのが、平成4年から30年以上たって、本当になったことに不思議です。
民部日向が再誕して組織にいるようです。

確かに、創価の教学部の中枢に居て、釈尊大好きな摧尊入卑の人物が、宮●幸●といって、名前の音が似ているので不思議でした。

我ら日如上人の御慈悲が溢れる中、御主管の御指導通りの支部活動ができる幸せは本当に当たりまえでないです。

日曜日には学会の叔母と電話で話をしましたが、最後はSNSのやり取りとなりました。悪鬼入其身の言動(メッセージ)でした。笑

今日は長女の学校で、中学三年生を送る会が、YouTubeの限定配信(三年父兄のみ)に送られて来ました。
在宅だったので、リアルに全部は観れませんでしたが、本当に青春そのもので、学校に通っていたわけでもないのですが、その気持ちが伝わって来て目頭が熱くなる想いです。
長女も功徳を頂いております。

令和7年2月26日(水)

今日は御法主上人猊下さまのお誕生日ですね。心より、卒寿のお祝い重ねてお慶び申し上げます。

夢で本行寺の輸送班の時の大先輩が出てきました。シチュエーションは実家の庭です。
丁度、(現実の話ですが)2/24の僧俗指導会で常泉寺で、久しぶりにお会いしたばかりでした。笑

実は、今日は長女の受験日で、我が家は早朝からバタバタで。汗

会社前にお寺に参詣出来なかったので、仕事終わってからご挨拶のみですが、お寺に参詣させて頂きました。

埼玉南部の班長さんや、東京西部の壮年長さんが参詣されてました。

何とか、長女に第一志望校に合格して欲しいですが使命のあるところにきっと収まると思います。御本尊様にお任せするのみですね。

昨日は、時間を作って、録画した学生部の劇を編集して、エンドロール付けて、内輪のみ観れる限定配信でYouTubeにアップロードし、学生部長に送りました。
また機会あれば、製作に当たりたいです。

今日はたくさん唱題が残っているのですが、我が家での唱題も、とても歓喜します。

令和7年3月24日(月)

三連休は本当に有り難く信心に時間を使わせて頂き、下記の功徳を頂きました。

土曜日は25年ぶりぐらいに古河方面へ回経で庶務部長さんの後ろで、御尊師のお供をさせて頂きました。

我が小平班の方々が今も信心を続けられている地域で、3軒の訪問が叶いました。 昔、青年部時代の後輩も自分を覚えていてくれ嬉しかったのと、御尊師も親しくお声かけされてました。

日曜日の子供のお誕生会では、次女の新来者と共にお寺に参詣し、また車の中、朝から賑やかなことw

子供達三人がそれぞれ登壇や、メジャー、演奏とそれぞれのお役を果たしました。
また、夫婦で鼓笛隊のカメラ担当として、四台のカメラを準備し、本番の撮影をしておりました。

御主管がお元気で、又親子共々お話が拝聴できること、これ程の喜びはありません。 また子供達三人がみな、それぞれのお役のもと、功徳を積ませて頂いております。

この日は、昨年入信の班の方も、参詣されました。

今日は、常泉寺での僧俗指導会に参加させて頂き、別の班の方と電車を乗り継ぎ共に参詣し、庶務部長の隣にたまたま座り、土曜日のことや、今後の地方回経について話ができました。
指導会の内容は、いつも拝聴するお寺のお話は、内容は同じでも、その人の境界や時で、全く違うものであることを感じなければいけないとの話や、88才の方の創価学会員の折伏の話も拝聴できました。

本所吾妻橋駅前、顕正会いたので、行き帰り2人ずつ4人に、「顕正会、ニセ本尊つくってますよ」って伝えましたが、
「地震が起きるのです」みたいに話を返す愚か者がいたので、「あなた達がこのように布教してるから、地震が起きるのですよ」と伝えました。笑

この帰りの電車の時間も、次回の地方回経での古河方面への調整をしております。

お昼とってないので、そろそろお腹のすき具合がピークですが、信心の歓喜で満ちてます。笑

我が班の回経の話が少し進んだり、昨日の学生部の劇を、長女中学のコーラス部の時と同じように編集して、(学生部関係者のみの限定配信)YouTubeにあげることが決まったり。。とても気持ちが充実してます。

令和7年2月18日(火)

今日は会社行く前にお寺に参詣させて頂いたのですが、西部の壮年長さんが参詣されており、御主管お導師の一緒に勤行することが出来ました。
新来者が来るそうで、講頭にお話して頂けるとのことでした。
折伏が生活の全面に出ている人は功徳が違いますね。

地区の他班の班長さんも参詣され、御家族の話をしてくれました。班長は本当に親孝行です。
西都の地区長さんも本当に毎日朝参りされているようで凄いです。なかなかできる事ではありません。

いよいよ長女の第一志望の受験が近づいて来ました。
大丈夫でしょうか。。汗
不安しかありません。笑

令和7年2月16日(日)

昨日は学会破折の勉強会に参加させて頂きました。
「創価学会教学要綱の欺瞞を破す」のテキストが手元に無い中で参加だったのですが、参加出来てよかったです。
御尊師からは、何故日蓮大聖人が御本仏なのかを図解して御教示頂いたのが、御相伝の上からのとても深い内容でした。

今日は娘の中学へ行く用事があったのと、家に来客があったので、お寺に参詣できなかったのですが、妻に頼み「創価学会教学要網の欺瞞を破す」の冊子を買ってきてもらえました。
一進堂に箱で来た中の最後の一冊だったようです。

今日は地元で近所の学会の叔父さんと話をする機会がありました。
昔は学会というと、こちらが目くじら立てて、喧々囂々で話を進めていたのですが、猊下様の御指南のように喧嘩ではなく温和な表情で話をしなければならないという事に気が付きました。

折伏は、どのケースもまずは信頼関係を作って、進めていきたいです。

令和7年2月11日(火)

日曜日には班員さんのところへ家庭訪問に参りました。
片道歩いて30分のところでしたが、会えませんでした。訪問先の最寄り駅に戻るとヘトヘトです。
連絡が取りづらくなっている班員さんなので、育成に力を入れたいです。
その最寄り駅には顕正会員の壮年が2人いたので、ひとりずつ「顕正会はニセ本尊つくってますよ」と伝えて来ました。

身延の参道入口近くに、因幡房日栄師の足跡があります。(ネットとGooGleMapで確認しました)
これは「下山御消息」に深い縁のある日栄師ですが、この人が、大聖人様の御説法を、草庵の裏で聴いたと云われてる場所に、「雫の桜」という足跡があります。

日栄師は、御説法を夢中で拝聴したので、桜の木から落ちるシズクも気にならず(雨だったのでしょうか)その雫で袖が濡れてしまったという足跡です。
大聖人様の御説法を(当時はマイクもないので)拝聴出来た場所という訳ですから、その場所の近くに草創期の草庵があったという事です。
その日栄師足跡の雫の桜近くには、「法界堂」という建物があり、この建物は大聖人の十間四面の草庵の姿を縮小して部材を使用して残した建物だそうです。色々、通勤や仕事の休み時間などに調べていると面白いです。

今日は、担当時間は、一時間半だったのですが地区担当の唱題行にお寺に参詣できました。
本当に有難いことです。2階客殿の御本尊様にお会いしたく参詣しました。
2階客殿の御本尊様は、コロナ前から今と比べるとお題目のお姿が変わったように感じます。少し不思議です。

今日は帰宅時、自宅から少し遠い位置の駅に降り、ホームセンターに行きました。これは1/400の近代模型の柱になる2mm角の角材を買うためでした。
復元模型をひとつほぼ作り終えたのですが、次の製作にかかっております。
今作りかけが3つあります。爆
もちろん、信心活動に差し障りない時間帯に、時間を10分でも作って製作しております。

今まで中世の建物ばかり製作していたのですが、明治・昭和の建物で設計図のある少しだけ古い近代の建物の復元模型も製作しております。
未知の領域です。
模型製作は、その完成形が頭に浮かび、部材のイメージまで出来ないと着手しないのですが、モチベーションが上がると製作の手が止まりません。笑

令和7年2月8日(金)

仕事がとても忙しく、徹夜もあり、ちょっと大変だったのですが、先日、珍しく自分の対外的な対応について、上司に誉められました。功徳を、頂きました。

また、仕事の現場から休んでください、と言われて、今日は半強制的に振替休暇を頂きました。
昨日突然言われたので、計画が立たず、自宅にこもりました。笑
7月末からコツコツと作っていた物が少し形になりました。今日1日、この模型製作に時間をかけてしまいました。

今日も本当は仕事やる気満々だったのですが、暇を頂いて、やらなければいけない事を終えて、少しホットしてます。

令和7年2月6日(木)

今日は在宅だったのですが、思いもよらず地元の幸福の科学が、たまたま我が家に訪問してくれてw下種することが出来ました。
功徳が降ってきました。
「あなたたちの会館に行ったことがありますよ。管理人の叔父さんと話しましたよ。辞めたほうがいいですよ、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経しか救われないですから。」
というか言わないかのところで、去って行ってしまいました。爆

幸福も科学もそうですが、創価も顕正も皆、堕将軍が死んでしまい、根無し草のようにさまよっております。
それに伴って、弟子たちも、どんどん、どんどん、不幸な姿がテレビでも放映されております。
今まで栄華を極めた芸能人までが、邪宗に所属しているだけで、大きな罰が詰まれ、得が切れて、不幸のポイントの時が来ると、ダダダダダーと落ちていきます。

もう二度と異流儀は出してはいけない、これほど大変な平成の大動乱の時代を思い出します。
こんなに獅子身中の虫を払うのが大変だとは思ってもみないことなのかも知れません。
その異流儀の徳が切れるまでこんなにも時間がかかりました。

自分はこの平成の大法難の時ずっと、お寺から離れなかったこと少しだけ誇りに思っており、心に秘めております。
ここにいらっしゃる皆さまと共に信心が継続できたこと、心より嬉しく思います。

令和7年2月4日(火)

広布唱題会では、御尊師よりは、御主管のお言葉を引用され、勤行について、ただ漫然とではなく、真剣に毎日実践することの大事を御指導くださいました。勤行唱題は御本尊様との境智冥合の時間であるそうです。
慈悲の眼で下種先を見ていく、信心の上で無駄な行動は無いとの御指導でした。

興師会では、日興上人様の御足跡を御教示くださいました。
日興上人様は五老僧とは違い、大聖人様と唯我与我の御境界で、身延離山の時の御心は、涙なくては語れないお手紙に残され、またその離山の大変な御苦労を超えて大石寺建立された、我らに御法をずっと継いでくださった、本当に有難いお話でした。

身延の沢とは、山間の小さな渓谷の事を云うそうですが、川が目の前に流れ、山に囲まれた小さな草庵が文永期に建てられるわけですが、GooGleMapでも、鎌倉当時の景色と変わらない身延の沢をインターネットでも見る事ができます。
しかし、今はこの身延の地に、正しい法はありません。
菩提寺に参詣することで、大聖人様の御心を拝聴でき、また身延離山のときの日興上人の御心労の命にも触れる事ができるので、信心の血脈とは凄いです。

この日、徹夜明けだったのですが、お寺に参詣できてよかったです。
帰宅後、少し仮眠しようとしたら、3時間も寝てしまいました。
体力を付けなければと思います。

個人的に身延の研究もしているのですが日興上人によって、御影堂が初めて建立された記載が日順師の御書き物にあります。
大聖人様の草庵が最初に身延に、文永期、三間四面で立てられた後、その場所に十間四面の大坊が建てられたと想像するかと思いますが、実は三間四面と、十間四面の大坊は、別の場所に建てられたのではと、最近思っております。
このあたりも書籍に残さなければと思っております。
キーワードは因幡坊日栄さんの足跡によります。

結論として思う事は、正法が伝わらない大聖人様の御足跡は、事実が曲げられることが多々あるのですが(佐渡のように)実際は、御法主上人、御主管、御尊師から頂く御法話を中心に、また大石寺の伽藍や歴史を考えると、大聖人様の御在世の姿も、うっすらと想像されるわけです。

身延の大坊、大堂の建設途中の景色には、後ろに高い木々があったと想像・予想すれば。。。
そう考えると他の坊(御書では小坊)はどこにあったのか、まだまだ研究の余地があって面白いです。

令和7年1月30日(木)

今日は会社行く前にお寺に参詣させて頂いたのですが、不覚にも革靴とシューズを間違えてw駅前から家に戻りました。
まだ暗かったので良かったです。 笑

おかげで、お寺の到着時間に遅れてしまいました。

しかしお寺では御主管お導師の勤行に参詣でき、とてもありがたかったです。
海外のご信徒と御主管は笑顔でお話されてました。

実はこの、再度最寄り駅に向かう、朝の駅前、暗闇のなかでちょっとおかしな光景にあってしまいました。

男の人が女の人か分からなかったのですが、人が佇んでました。

ちょっと嫌な感じがしたので、避けて駅に向かうような斜めに路を横切って駅に向かいました。

そうすると、聴いたことも無いような鳴き声で、その人が鳴き始めました。
まるで、この世の生き物でないような鳴き声でした。

直感で {この人は過去に、大きな罪を作ってきた人かも、仏教的に。。}と思いました。

時空を超えて罪を背負って生きている、とんでもなく孤独なヒトのように思えました。
とにかく悲しんでいるのですから良い報いではありません。
無量劫にも消えない罪を作る人はいますが、その報いからすると、どれだけ我らが幸せか解ります。

そのヒトはどこにいってしまったのでしょうか。

令和7年1月27日(月)

昨日は、御主管ご出師のもと、班の同志と一緒に折伏推進指導会に参加させて頂きました。

御主管は、【崇峻天皇御書】の
蔵の財よりも身の財、健康であること。それよりも心の財が第一であることを、ご指導くださいました。
笑顔溢れる正法の幹部会は、功徳溢れる感じがすごく感じます。本当に当たり前の事が有り難く思います。

難を呼び起こす信心は、なかなか出来ませんが、お題目たくさんあげさせて頂き、全て進めて行きたいです。

長女は、滑り止めは合格したものの、本命の県立受験があと1ヶ月となりました。

直前に、鼓笛隊の発表があるのですが、これにもちゃんと参詣、参加するそうです。

長女は、信心を中心に考えてるので、全てを御本尊さまに、親も任せたいと思います。

令和7年1月24日(金)

発熱など波乱の年始ではありましたが、御本尊様に護られ、自社の管理作業から、現場での業務に至るまで諸天が顕れて乗り越えつつあります。
先日、会社に行く前に、お寺に参詣させて頂いたのですが、以前に在勤されていた現在親しくさせて頂いてる御尊師が御来寺されており、お声をかけて頂きました。
とても元気を頂きました。
本山の修行は、とても厳しいのか、御尊師は、本当に以前より貫禄が増し輝いておりました。
またお会いできる日には、自分こそは、もっと輝いていなければならないと思っております。

日目上人様の地域の宗史は、以前に結構細かく調査したことがあったのですが、日興上人詳伝に載っている、日目上人が日尊師を教化した場所について、わかったことがありました。
堀上人様は、その場所がどこか御存知だったようですが、細かい住所の記載がなく、自分にはその場所が、わかりませんでした。
しかし、どの場所で日尊師が入信したか分かりました。

この場所は本当に一般的な民家ではありますが、四角い(四至というそうですが)土地に、少しの墓地もあり、日目上人様のご実家の本源寺の近くの森六丁目にあります。

そう、本源寺は、二転三転の地とは言われてますが、600年ほど前の石碑がいくつも存在していたりしているので、元から、この場所が日目上人様の父上方の実家、そのものの地であると、自分は確信しております。
本源寺さん、正信会から戻って来て、本当によかったですね。

令和7年1月22日(水)

今日は夢で、六畳間ぐらいの堂于で、自分が導師をしていて、少し大きめな鈴がありました。一尺二寸の大きめな「金剛菩提樹」のようなお念珠を手にかけて、お経を唱えている不思議なものでした。

後ろには数人の人が一緒に座ってます。本尊は良く見えませんでした。

たぶん方便品を唱えてました。笑

令和7年1月16日(木)

今日は朝、先日の出陣式のときに披露してくださったギターとハーモニカのセッションを録音した音源を聴いておりました!渋いです!

昨日ですが、自分が今までの人生の、約半分のところで聴いていた曲がたまたま好きで、家事の手伝いの途中でキッチンで聴いておりました。
あれから、26年も経ってしまいました。
四半世紀以上前。
ついこの前の時のように思い出されます。

仕事初めから、なかなかエンジンがかからなかったのですが

「行き詰まったら折伏!」との昔の先達からの指導のとおり、神社仏閣、京都好きの、昔の同僚(Facebook繋がり)をお寺に誘いました。
興味ないとのことでしたが、

京都「住本寺」さんの住所
をお伝えしました。

昔、自分が東山行ったときに参詣させて頂いたとき、日精上人の板常住御本尊様だったかと思いますが、とても印象的な御本尊様と、古風なお寺でした。

やはり、折伏を表にすると仕事がスムーズにいきます。生きた仏法です。
すぐ結果が出ます。
仕事への意欲も沸いてます。

50,60代はやる気が失せていく年齢らしいです。

自分も少しだけその傾向にあったのですが、いやいや、それでは何で信心しているのか、分かりません。

若いうちは、(うちの娘たちもそうですが)何もなくても希望的が溢れてますよね。

いつも、小さな希望をキープし続けて毎日生きていくためには、折伏を忘れない事と感じます。
その善を重ねていけば、晩年は幸せで溢れていきます。
晩年、何でも思い通りの時が来ると聴いたことがあります。

令和7年1月12日(日)

今日の誕生日では、真夜中から(在宅ですが)仕事があったので寝ずに業務でした。
しかし、全てでスムースに実施され、有難くも2時には業務完了しておりました。
朝5時に起きて、鼓笛隊の子供達を送り出し、午前中は少し仮眠を頂きお寺に向かいました。

御講では咳が少し出ていてつらかったですが、本堂の御本尊様の金色の輝きが心に刻まれました。
家族で参詣でき、また三女の小学校2年生までがしっかり御教本を手にもってお経をあげている姿に本当に幸せを感じます。

自分の誕生日ケーキを妻が一緒に買おうと言ってくれたのですが、一緒に行けず、夕方は自分が夕飯の鍋の準備をして、急いで夕飯をとり、地区のリモートの打ち合わせに参加です。(20:00-)

この打ち合わせが終わるのを家族が待っていてくれたので、ケーキを皆で食べて、自分はお礼にカードイリュージョンマジックを披露しました。笑
先日の地区の出陣式で皆の前で見せたものになります。
手元には誕生日のプレゼントとして、親玉やし菩薩、しずくが水晶に代わった(開眼済の)御主管から以前頂いたお念珠が渡されました。

こんな朝からドタバタな誕生日も、信心を中心に迎えられ、色々な家族との交流やFacebookでの沢山の皆さんからのお祝いメッセージの中、今日が終わります。今日の日が迎えらえれた事を心より御本尊様に感謝申し上げ、明日も頑張ります。

令和7年1月10日(金)

今年元旦は、広布唱題会から元旦勤行まで時間があったので、家族でファミレスへ行ったのですが、開店時間前だったので南池袋公園付近で開くまで待つことにしました。
そこには東南アジア系の男性が立っていたので、早速パンフレットで下種することが出来ました。
少し幸先の良い元旦となりました。
この男性はこの後、自分達家族が入ろうとしていたファミレスの従業員だったようで、裏口から建物に入っていきました。
厨房で働いていそうなのですが、次回会えるでしょうか。おそらく顕正会員です。

今週は御本尊様の御加護を頂き、平日の仕事を乗り越えられました。
明日は、夜間帯の仕事がお休みなのに待っております。
がんばります。

今日は実家の父がお寺へ参詣して家族のお塔婆を上げ、その足で池袋から新所沢の我が家まで来てくれました。
自分は在宅勤務だったのですが、仕事の休みのタイミングで、家に上がってもらいました。
一人暮らしなので、結構寂しいのではと心配しております。
しかし楽しそうに昔話をしておりました。

休みや昼夜を問わず塾に行っている長女に合わせた我が家のサイクルが少しあります。
夕飯を少し一人分早く作ってあげたり、帰宅時に夕飯を出してあげたり、寝るのを少し長女と併せて少し話を聴いてあげたりなどです。
色々勉強を頑張っているので、結果を出してほしいです。

令和7年1月9日(木)

念願だったお念珠の水晶玉への換装(?)が、仏具屋で完成し、今日御開眼をお寺でお願いしてあります。
これは、連続折伏で、御主管から手渡しで頂戴したお念珠です。

プラスして金剛菩提樹のお念珠も紐を代えたので同じく御開眼お願いしました。
これが今年の自分の誕生日に家族か渡されます。
あと、春の撮影に向けた大容量バッテリーがプレゼントに付属されます。

今日はお寺参詣のあと、会社に出社したのですが、重い重い年始の仕事が少し乗り越えられました。

ほーっ。。 引き続き休みに夜間作業あるので気を引きしてめがんばります!!!

デスクに戻ります。

令和7年1月7日(火)

年始は三が日終わった後、不覚にも体調を崩して熱を出してしまいました。
壮年部唱題会と、地区の出陣式には這うように参加しました。笑

年始から、「お題目を唱えさせない」「仕事をさせまい」「御宝前に座らせまい」とする魔が生じて、凄いです。

左腕がずっと痛く、こうしてパソコンでタイプするのも辛い時があります。
今年は魔が出るぞとのお話がありましたが、このような形で、ジワジワと出てくるとは思ってもみませんでした。

地区の出陣式で、「御本尊様と沢山会話をしなければ」と班長さんが仰っていたので、御本尊様に、今の状況をお聞きしたところ、「もう年だから」とお答えを頂いたような気がしてw
身体を大事にしていきたいです。

今週は仕事はじめから色々次の課題があり、大変ですが、この大変な仕事の時期、きっと一生の大事な時と心得て、チャンスと思って頑張ります。
そのために、明日のために睡眠をしっかりとりたいと思います。

令和7年1月1日(水)

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

御法主上人猊下様におかれましては、ご機嫌麗しく元旦を迎えられ、心よりお喜び申し上げます。
本年も、御教導賜りますよう謹んでお願い申し上げます。

御主管におかれましては、昨年も親しく日々折伏の御指導を頂き、本年も折伏行で深い罪障消滅と、功徳を頂けること有難く思います。心より御礼申し上げます。
どうぞ、お身体無理なさらず、変わらず御教導賜りますよう謹んでお願い申し上げます。

総本山や世界各地、全国各地の御住職、御尊師方にもご機嫌麗しく心清らかに元旦を迎えられ、広布への情熱もより熱く、遠方より御指導賜わりますよう謹んでお願い申し上げます。

法華講の諸先達、同志の皆さまにも、破邪顕正の外護の道念も篤く、また種々激励頂ければ幸いです。
謹んで、本年もよろしくお願い致します。

邪宗教団の謗法罪は深く重く、組織的にその大舟は早々に沈没していくようです。深い海に沈む人たちを一刻も早く救っていかなければいけない時なのかも知れません。

今年我ら法華講は、燦然と輝く未来があり、罪障との闘いはありますが、希望が溢れており、今年も充実活動の信心活動のもと、功徳が頂ける年と拝して、また己心の魔に足をすくわれないように気を付けつつ、今年も一緒に信心させて頂けますよう、謹んでお願いいたします。