御法主日如上人猊下御指南
六月度 広布唱題会の砌
本日は、六月度の広布唱題会に当たりまして、皆様方には諸事御繁忙のところ時間を割いて出席され、まことに御苦労さまでございます。
さて、私どもは、末法の御本仏日蓮大聖人様の大慈悲によって、煩悩と業と苦に苦しむ我が身を、永遠の覚りの仏身と開き、一生成仏の道を歩ませていただいております。
されば、私達は、どのようにすれば、この仏祖三宝尊の広大なる御恩に報いることができるのか。
総本山第二十六世日寛上人は、三宝の御恩に報いる道は、折伏を行ずることであると仰せであります。 すなわち『報恩抄文段』に、
「邪法を退治するは即ち是れ報恩(中略)正法を弘通するは即ち是れ謝徳(中略)謂わく、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通する、一切の恩として報ぜざることきが故なり」(御書文段 三八四)
御教示あそばされています。
この御指南の如く、まさに折伏こそが、三宝の恩をはじめとする四恩、すなわち、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩に報いるための最善の報恩行であると仰せられているのであります。
その折伏を実践するに当たって、まず心得べきことは、自らが強盛な信心に立って、唱題することであります。
唱題は一切の仏道修行の根本であり、成仏のための大切な行であります。
されば、日寛上人は『観心本尊
抄文段』に、
「自行若し満つれば必ず化他有り。他は即ち是れ慈悲なり」(同二九)
と仰せられ、唱題行の功徳が満つるところ、必ず折伏の実が伴うことを御指南あそばされております。
したがって、私どもが折伏をするに当たってなすべき大事なことは、相手の幸せを心から願い、御本尊に対する絶対の確信を持って唱題に励み、その歓喜と功徳と慈悲の心をもって折伏を行ずることであります。すなわち妙法は、いかにしたら幸福になれるかということを明かされた、いわば人生の基本的ルールなのであります。
よって、大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、
「云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく『慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり』等云云」(御書 九〇六)
と仰せであります。慈悲とは、相手の苦を取り除き、楽を与えることであります。したがって、どんなに心を許し拶している友人がいたとしても、慈悲の心を持たないで、ただ表面的に仲良く付き合っていくことは、相手にとって怨れにこそなれ、決して為にはならないのであります。
また、私どもの折伏は、傍観者的な姿勢であったり、弱い折伏であってはなりません。大聖人様は
『曽谷殿御返事』に、
「謗法を責めずして成仏を願は、火の中に水を求め、水の中に火をぬるが如くなるべしはかなしはかなし」(同一〇四〇)
と御指南あそばされているように、世間には様々な邪宗教が広まっており、その邪義邪宗に謎かされた人達や、慣習的に邪宗教に浸りきっている人達が大勢おります。
そういう人達に対して「謗法は不幸の根源である」と言い切り、謗法を責め、破折することが大事なのであります。
つまり、邪宗教こそが人を不幸にし、国家を危うくする元凶であることを言い切り、一切の謗法を破折し、屈伏せめる威勢が大切なのであります。
これが折伏であります。
そして、その折伏は、実はだれでもできることであります。もし、友人、知人、親戚など、折伏したい人がいれば、寺院や折伏座談会の会場などへお連れする。あるいは、講中幹部の方々や親しい人にお願いして話をしてもらうことも一つの方法であります。要は、やろうと思えば折伏は誰でもできるということであります。
特に、本日お集まりの皆様には、本年度の折伏誓願目標は、たとえいかなることがあろうとも必ず達成するとの強い信念を持って、時を無駄にすることなく精力的に時間を活用し、全力を傾注して折伏に邁進されますよう心からお願いをいたしまして、本日の挨拶といたします。
(大白法令和8年6月16日号より転載)